装うのは誰のため?

こんなtweetをしてから、装いは誰のため?を考えていました。
いろいろ迷って服を買ったり、あれこれ悩んでコーディネートを決めたりするのは、一体誰のために、なんだろう?

教科書的には、
”その日に会う人を想って”
とか、
”行く場に相応しいように”
とか言われます。

でも、私はやっぱり、

”装いは自分のため”

じゃないかと思うのです。

パンツにするかスカートにするのか、ブラウンにするか水玉にするのかは、その時の自分が表に現れているのであって、自分そのものです。
”会う人に喜んでもらえるように”と考えるのも、 自分はそんな気遣いができる、ということの表れだし、喜んで貰えたら自分が嬉しいのです。 
だから、自分のため、ではないでしょうか。

出かける場に合った服装を選ぶのも自分です。
本当は落ち込んでいて黒を着たいのだけど、雰囲気を暗くしてしまうから明るいピンクを着る、ということもあるかも知れません。
そうやって自分を抑えて、素敵な場になるような配慮ができる、自分の表れ。
そして、そうできる人は良識ある人とされるはずで、やはり自分のためになります。

逆に、TPOなんて無視して真っ赤な服にする、ということも有り得るでしょう。
私はそれでも良いと思うのです。 
今の自分にとって大切な色を着る ー  そんな表現の自由はあるはず。

私は、いわゆる常識とかルールを重視しない派です。
6年にわたる ニューヨーク在住経験が、間違いなく影響していると思います。

肌の色も髪の色も人それぞれ。 育ってきた文化的背景もバラバラ。 好きなスタイルや似合うものが違って当然なのです。

例えば、中米出身の同僚は、まん丸お尻とぱっちり目の黒人女性。 
そんな彼女に似合うのは、思い切り裾が広がったベルボトムのパンツでした。
また、鼻が高く目力のあるイタリア人の友人。 彼女のMaxMaraのロングコートの見事な着こなしは、私には到底真似できないものでした。 

人それぞれ似合うものが違って当たり前、だから着るものが違って当たり前。
ひとりひとり、その人だけの美しさを活かせばよい、というシンプルなことに気が付いたのです。

そして、これらは人の外面の要素ですが、それに加えて、内面 - その時の気持ちや感情がにじみ出て、外面と混ざりあってでき上るものが装いである、とニューヨーカー達の装いを見て考えるようになりました。

Midtown

”自分のために装う” は、”自分勝手” という意味ではありません。

誰かを想って、また何かのために装うとしても、中心になっているのは自分、ということかしら。

”装いは自分の幸せのため”

ふと、こんな表現が降りてきました。

自分の人生ですもの。
着たいものを着たい時に、で良いのではないでしょうか。

そう言えば、しばらく前に見たエキシビション、”アドバンスト・スタイル‘ アリ・セス・コーエン写真展” を思い出しました。

東京の池袋西武デパートで開催されていたこの写真展は、思い思いにドレスアップしたNYの60歳以上の女性達がモデルでした。 
そのカラフルで、パワフルで、生き生きとした姿に目を奪われました。 たまたまチケットを頂いたので寄ってみたのですが、とっても刺激的で面白くて、いまも心に残ります。

この写真展は映画にもなり、『いつだって いつまでだって おしゃれ 』とキャッチコピーが付いています。
どのモデルも、ぴんと伸びた背筋と輝く笑顔が写真から飛び出してくるよう。
自分らしくあることが、健康の秘訣でもあるのかも知れません。

自分が満たされて、初めて人にも思いを寄せることができるのではないかと思います。
であれば、今日から、少しずつでも、自分らしい装いに近づいていきませんか?

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