人はなぜ服を着るのか(鷲田清一著)

どなたかのお勧めだったのかあやふやですが、この本を買いました。
ファッション界ではよく読まれている本であるようです。
人はなぜ服を着るのか(鷲田清一著 ちくま文庫 )

私は服やファッションについて、あまり深く考えません。
美しいかどうか、楽しいかどうか、ものによっては機能的かどうか。 
それくらいかな? 考えるというより、ほぼ感覚です。

NYの大学でファッションを専攻していた時は、ファッションの歴史や生産、マーケティングについて授業がありました。
新しく学ぶことが楽しかったし、すべての知識が礎となって今につながっていると感じます。

大学での勉強以来、学術的に?服について考える機会があまりなかったので、この本のタイトルを見て久しぶりに興味を持ち、買ってみたのでした。

詳しくは、ご自分で本著を読んで頂くとして。
私からは、心に残った2点をご紹介します。

目次

ポイント① むき出しの顔は無防備

興味深いのは、〈顔〉が顔面に収縮してくるとともに、顔面がむきだしになってきたことだ。 濃い髭には表情を隠す効果がある。

というのも、表情のすべてを他人にさらしてしまうというのは、きわめて危険なことだからである。 表情はその微妙な動きをじぶんで制御するというのがとてもむずかしい。 だいいち、じぶんがいまどのような表情をしているのか、その生き顔をじぶんではどうしても見ることができない。 逆に他人のほうは、わたしの心情の変化を刻々と映し出すわたしのその顔をその微細な変化まで、咄嗟に精密に読んでしまう。 つまり、無防備なのである。 顔を他人にさらしているというのは。 だから、本来からいえば、中近東の一部でいまも習慣になっているように、顔を覆い隠すことのほうが理にかなっているのである。

人はなぜ服を着るのか(鷲田清一著 ちくま文庫 )P.166

顔がむき出しで丸ごと外に出ているということ、当然すぎて疑問に思ったことがありませんでした。 現代の日本では、それが標準となっているからです。
確かに、自分自身の表情をほぼ制御できないのに、それを全て人に見せているのは 無防備かも。

でもそれならば、無防備のまま、偽らないで生きていきたいと思いました。
幸せな表情が浮かぶようにすれば良いのでは、と。

例えばコーディネートがばっちり決まった時、自信をもてた時、幸せを感じた時。
その笑顔が武器、というか強さになります。 笑顔の人に、周りの人は優しくなります。 そして優しさは連鎖します。

そんな風に、ファッションは人が少し楽に生きていく手助けをできるのではないかしらん。

ポイント② 他者との距離のとり方

他者たちのあいだでどんな位置を取るかの判断、それを人はいやでも服やメイクでせざるをえない。 

そうした判断の理由はじぶんでもたぶん明らかにできない。 訊いてもおそらくは「なんとなく」といった答えしか返ってこないだろう。 そしてなんとなく選んだ服をある時間が経つと別のものに選びなおす。 

ひとはこのようにいつも社会のマジョリティとの距離のとり方を微調整してきたのだ。

人はなぜ服を着るのか(鷲田清一著 ちくま文庫 )P.299

人は社会的な生き物で、社会の中で生活している…でも他者との距離のとり方は人それぞれ。 
その距離のとり方に、個性があるのでしょう。

人に喜んでもらいたいと思ってその日のコーディネートを決める人もいるし、属する集団で目立たないための服を選ぶ人もいます。 ここでは社会との距離の意識が強い。

一方、人の目を気にせず着たいものを着る人もいます。 
社会との距離を意に介さないように思えるけれど、そのファッションに影響を与えている人はいるはずだし、見せたい相手も、少ないかも知れないけれど多分いるでしょう。 それも、距離のとり方。

はて私はどんな風に距離を取っているだろう?

私の好きなスタイルは、シンプルで都会的、気負わないカッコよさ。 
書き出してみると、これは私が理想とする女性像である気がしてきました。
まさに、そんな女性に活躍してほしいと願う、私なりの社会への働きかけなのかも知れません。

日ごろ、一冊の本からひとつでも新しく学ぶことがあれば充分と思って本を読みます。
この本からはふたつもじっくりファッションについて考えるポイントを得られ、満ち足りた心で本棚へと戻したのでした。